【2024/10/29】シーズン最終日、小山女魚しか釣れず

一つのことに集中したほうが効率も上がるしメンタルにも良いとわかっているのに、動画を見ながら文章を書いたり、ラジオを聴きながらゲームをしたりしてしまうのはなぜなんでしょうか。

心ここにあらずを自ずから作り出してしまっているのですが、満たされない寂しさの発露なのか、音に依存しているのか、何か一つのことに集中することに恐怖を感じているのか、よく自分でもわかりません。

釣りをしているときも決してそれは例外ではなく、しばしばぼんやり他のことを考えるという現実逃避を自動でしていることが多いのです。好きなことをしているはずなのにイマイチ目の前で起こることに集中できない。そんなことを感じる一日でした。

前回虹鱒はもういいやとなったので、今回は大きな山女魚と岩魚を釣ってシーズンを締めくくるべく川へ足を運びました。

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寒くなってくると

北海道は冷え込む季節になりました。そして体に寒さを感じると死に至る痛みを想像し恐怖します。

例の知床の事故もその一因です。冷たい海水に浸かり亡くなっていった人たちのことを考えると、いたたまれません。秋の早朝の寒さでも相当体にこたえるのに、いきなり極寒の海に放り出されるなんて、想像するだけで恐怖に身がすくみます。

死ぬのはあんまり怖くないけど、死に至る苦痛がコワいです。幼いころは死という無の世界そのものがコワくありましたが、今ではそれはすっかりなくなって、やや楽しみですらあります。私は無と相性が良さそうなので。

自分がどんなふうに死んでいくか、それは誰にもわからないことですが、それがなるべく穏やかで苦痛が少ないものであることを願うばかりです。その点私の父方の祖父は一つの理想形を提示してあの世に行きました。

彼は風呂で滑って頭だか胸だかを強打してぽっくり逝きました。82だったと思います。それまでボケることもなく老いてはいましたが自分でしっかり歩くこともできていました。アパートで独り暮らしをしていましたが、転倒後程なくして近くに住む義理の娘が様子を見に来た時に発見されたので、その後の始末もスムーズに進んだと聞いています。

風呂でスベってこけて死ぬ。この芸当がいかにして可能なのか、あの世の爺さんに語り掛けますが彼はいつでも満足そうな笑みを浮かべるだけで具体的な話はしてくれません。自分で考えろとでも言いたげです。

いや実際、大した人物ではなかったので偶然コケちゃっただけなんだけど、あまりにもずるい死に方ではあります。ただただうらやましいものです。でもその可能性は私にも残されているのでいつその時が来てもいいように身の回りの整理だけはバッチリ済ませてあります。

でも、ほんとうに理想的な死にかたというものは、わが祖父のように適当に生きてぽっくり逝くのではなく、その死の直前まで自分に与えられた使命を全うする生き方(死に方ではない)なのでしょう。

「人生フルーツ」という老夫婦を描いたドキュメンタリー映画が数年前に話題になり私も観て深く感動したのを覚えています。主人公は女性なのですがその夫がたしか都市計画の専門家で、死ぬ前日まで日中は普通に専門性の高い仕事をこなし、身の回りのことをきちんと自分でして、次の日布団から起き上がってこなかった...という亡くなり方をしました。

これこそが誰もが憧れる”生”の使い方でしょう。でも、こういう言い方はちょっと品がありませんが、高い専門性と教養を身に着けられる人はごく一部で、さらに情熱をもって死ぬまでそれをやり遂げられる人はほんの一握りでしょう。存命の方だと宮崎駿さんあたりはこのタイプなんでしょうが、ほんと憧れます。

一転して私は、目指すは祖父の”生きざまも死に方もザックリポックリスタイル”です。高望みはいけません。地に足つけてその日を待ちましょう。

水温が下がると厳しい

最高気温というよりも最低気温が5度以下、霜が降りるレベルになると釣りはとても難しくなりますね。これは釣り方(ルアー、フライ、エサも)に限らずだと思います。

この日私が自宅を出たときの外気温は3度だったので、おそらく山間の渓流ではもっと低かったはず。実際に川に着いて足を入れるとウェーダーから刺すような冷たさを感じました。こうなってくると午後になるまで魚は動き出しません。

気温が高くなりすぎる夏場は、水温が低い場所に行けば魚に出会うことができます。要するにいつもより上流にマス類は避難し、それと入れ替わってウグイのエリアが広がっていきます。

でも、全体的に川の水温が低くなるとそれは困りもので、今度は川を下っていけばマス類に出会えるのかと言えばそんな単純な話ではありません。今のところ手の打ちようはないと思っています。

できうる対策としては、釣りに行かないという究極の方法、もしくは魚が動き出すタイミングをひたすら待つということです。たぶん詳しい人は”水温が高い川”もしくは区間を知っているのでしょうが、私はその域には到底至っていないのです。

この日もまさにそれで、どこにいっても水は冷たすぎて魚は居るのでしょうが動き出す気配が全くありません。釣れたのは小さな山女魚が数匹のみ。

以前サビ山女魚が豊漁だった滝つぼの上にも登ってみましたが、むき出しの岩盤の細流でポイントがほぼなく釣りにはならない印象。しかし、人の形跡がまったく無い谷を流れる美しい光景でした。

午後に入り気温が高くなったタイミングで、前回大岩魚をばらした上流へ移動してみました。上流はここ数日断続的に降った雨でやや増水気味で笹濁りのコンディション。

真夏であれば歓迎すべき状況なのですが、水温が低いこの状況だとさらに難しくなってしまいます。めぼしいポイントに毛ばりを落としていきますが、まったく魚の気配はしません。そればかりか立て続けに毛ばりをロスト(3つ)してしまい、なんともいたたまれない気持ちに。

これは想像の域を出ませんが、本流の水量が増えて安心して過ごせないとなると魚は支流の静かな場所へ移動していると思います。なぜなら、支流に入ってすぐの落ち込みとかに魚がついているケースを多く経験するからです。

ここで言う「本流」は支流が注ぎ込む本線というニュアンスで、川の規模の話ではありません。増水していたり濁っているときは、どんなに小さくても支流に入ってみると思わぬ釣果に恵まれることがあります。たいてい最初の落ち込みに魚が付いていますので試してみてください。

と言いつつこの日は支流でも寒すぎたのか反応は皆無でした。自分の未熟さをただただ痛感。

ロッドの固着

流れが強く深い本流で、仕掛けの全長をいっぱいに使った釣り方をしているときに、対岸の障害物に引っ掛けてしまうとまずいことになります。

川に入ることができないのでラインをつかんで引っ張るということができず、ロッドを引っ張らざるを得なくなり、振出ざおの場合はかなり強い力でロッドを伸ばす方向に力が掛かるので下手をすりゃ破損、もしくは固着に直結します。

シーズン中は比較的水量が少ない中で釣りをしていたので、ラインが掴めない状況に直面することは無かったんだけど、この日は数日来降り続いた雨の影響で水かさは増していてとてもじゃないが川に立ち入れる状況ではありませんでした。

ということで、ロッドを引っ張る形になり、こういう時はラインブレイク対策の太めのハリスと強靭なノットが逆に作用し、ロッドを確実に固着の方向へ導くのです。

毛ばり回収後、固着具合を確認したところもっとも修復が難しい先端の2パートが微動だりしなくなっていました。

以前、この固着を焦りからフィールドで何とかしようとしてぱきっと折ったことがあり、そのことをギリギリ思い出し、これはこのままにして自宅に帰ったのち冷静な頭と心で対処すべしと思いとどまり、その先端2パートを伸ばしたまま帰路につきました。

でもこれはこれでロッドを折る可能性が高く、なんせ一番細いところだけ伸ばしてあるし、先端径が0.7mmという極細で目立ちにくく、ものに引っ掛けたりドアに挟んだりしがちなので慎重に車に入れ部屋まで持ち運びました。

幸いしばらく釣りにはいかないので、ゆっくりじっくり、ネットの記事でも参考にしながらこの固着と向き合おうと思っています。

今シーズンを振り返って

今シーズンをヒトコトで表すと”無理をしない釣り”でした。

車のそば、橋のそばでしか釣りをしていません。それはやはり、これだけ羆のことが騒がれているし自分も恐怖を感じるからです。頻繁に音出しをしもちろん腰には常に撃退スプレーをぶら下げ、でき得る対策はすべて行いました。

夏場に一度遭遇しましたが、幸い何事もなく無事にシーズンを終えることができた次第です。それでも、おそらくヒグマの頭数は今後も増え続けるだろうし、渓流釣りは年々危険度の高い遊びになっていきそうです。

多くの市町村でヒグマ対策を考えているでしょうが、ヒグマの頭数と出没のコントロールはとても難しいみたいで、”共生”という簡単な言葉で済まされる問題ではなさそうです。ハンターの数を増やしたからと言って、エゾシカのように簡単に狩れるものでもないらしく、相当のチームワークと熟練度が必要らしい。

適切なヒグマの頭数、というものが何頭なのかも私にはさっぱりわかりません。

おそらく釣りをしない人の中には、そもそもヒグマとの遭遇の可能性があるエリアに行くことが間違っているという意見の人もいることでしょう。私もそれには基本的に賛成ですが、事前に情報を調べ、道路や橋、車から比較的近い場所で遭遇してしまった場合、それは運が悪かったとしか言えないのではないか。

釣果の方ですが、数の面ではイマイチといった感じです。新規開拓をほとんどしなかったこともあり釣行回数も少なく(22回)、かといって大物が釣れたわけでもありません。総じて釣果は悪かったと感じています。

その原因はいろいろあるでしょうが、やはり先ほども書きましたが深入りせずに橋の周囲しか探らないといった釣りだったからでしょう。

それでも40アップのニジマスが5匹、岩魚に関しては1匹でしたが難しいランディングの経験もできたのでまあそこは満足しています。

当初50upの虹鱒を釣るという目標を掲げていましたが、これは早々になんか違うな~と思っていました。40前後までは軽く機動性の高いロッドで釣りができますが、50以上を考えたロッドにすると必然的に重たい装備となり、そうなると手首の負担が半端なく釣行に苦痛を感じます。数回それに対応できるロッドを用意し振ってみましたが早々に諦めました。

テンカラで釣るには30~40が最も面白く、大物を狙うことは特別なイベントとして考えるべきで、日常の釣り方ではないのでしょう。そういうイベント、例えば大物を狙った道東道北遠征なんかは今のところ考えていないので、結果今の釣りを維持していくことになりそうです。

無理をしたり頑張ったりするのは何か違うと感じます。今ある道具と環境でいかに楽しむかを主眼に置いて自分らしい釣りを模索できたらなと今シーズンは実感したし、方向性と在り方が見えてきた気がします。そういう側面から今シーズンの釣行を振り返ると有意義であったと言えそうです。

夏場は経験したことがないレベルの渇水に悩まされましたが、9月~10月中旬までは良い釣行が続きました。なので未練なく竿をおさめることが出来たのです。総括はこんなところです。

これを書きながら無意識にマップと天気予報をクリックしていましたが、いや、もう行きませんよ。本当にこれが最後です。

釣行データ

天気と気温

  • 曇り時々晴れ
  • 現地最高気温13℃

タックル

釣った魚

  • 山女魚数匹(約20cm)

確認した野鳥

  • アオサギ
  • トビ
  • カワガラス
  • キジバト
  • ヒヨドリ
  • ハシボソガラス
  • アカゲラ
  • マガン
  • オオハクチョウ

釣り場に向かう道中、少し遅めのねぐら立ちをするマガンの群れを見ました。ピークは過ぎた感がありますが、それでも市街地から郊外へ車を走らせると、マガンやハクチョウ類が編隊を組んで南へ飛んでいく姿を見ることができます。

なおマガンに似ているヒシクイという鳥もいて、そちらはやや大きいのですが、並んでいるところを見ないとわからないレベルです。でも鳴き声がマガンの方が甲高く特徴的なのでマガンだとわかります。

数は圧倒的にマガンの方が多く、群れの中に1割程度ヒシクイが混ざる程度です。もちろん観察地によってその割合は変わるでしょうが札幌近郊だとその程度のようです。

ということで、今シーズンの釣行記はここで終了です。また来シーズン、おそらく五月中旬頃から書き始めたいと思っています。それまでは鳥や木工、また特にテーマを設けずに雑談形式の文章でも書けたらなと考えておりますので、またお越しください。

皆さんのシーズンはいかがでしたか? 最後までお読みいただきありがとうございました。

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