豊平川で一匹も釣れなかった哀しい人

いやーうちの鏡は優しくて好きだわーと同居人が言うので、え、どういうこと? 逆に厳しい鏡とかあんの? と聞くと、やけに具体的に、どこどこのローソンのトイレ横にある鏡はめちゃくちゃ厳しいという返事が。

その某ローソンの鏡に映る自分は、もはやホラーだと泣きそうな顔で話してました。一方、普段使っている洗面台の鏡は、比較的映りがよく、私でさえも、お、今日はなんだかキリっとしてんじゃね?と思ってしまうほどです。

自宅にある鏡が優しいもので本当に良かった。そう心から思った5月末の日記です。

※前回の釣行を動画にまとめました。ご高覧ください。

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久しぶりの豊平川上流

かなり久しぶりに豊平川での釣りです。札幌の母なる川、私のかつてのホームリバーです。

まずは市街地で川の状況を見てみたのですが、まだ水量が多く、とても釣りができる状態ではありません。ラフティングにちょうど良い白波が立つ激流でした。おそらく札幌湖側からの水が多いのでしょう、移動した定山渓では釣りができる水量でした。

昔テンカラを始めたころ練習の舞台として足しげく通った区間は、川の流れこそ変わりありませんが以前よりも遊歩道が整備され観光客が河原にまで降りられるようになったことが影響しているのか、魚影はとても薄く、2時間ほど粘りましたがアタリはゼロでした。ただ時間帯が悪かった、もしくは先行者がいただけかもしれませんが。

釣りをしている最中、後ろがガサゴソするので振り向いてみると、普通にラフな服装の親子連れが歩いていたりして(頼むから鈴をつけてくれ、ビビるから)、あぁ、もうここは厳しいのかなと寂しい気持ちになりました。

コロナ~インバウンド爆発以降、ニセコ方面だけではなく定山渓もなんだか雰囲気が変わりましたね。車線は拡張され大きなホテルもいくつか建ち、私が来る場所ではなくなってしまった感じです。

ということで一度川から上がりもう少し上流、薄別川に入ってみました。こちらも入渓が楽なところは状況が同じで、一度だけはっきりとしたアタリがありましたが、それ以降はコンディションが良いにも関わらず、どんな好ポイントからも音沙汰は無し。

こうなってくると仕舞には自分の腕を含めた釣りキャリア自体を疑い始めてしまいます。いや、ヘタなんだろうな、実際。まだまだです。

その後、ほかの支流にも入ってみましたが、そちらでもめざしのようなニジマスが一匹釣れただけで、実質ボウズという結果でした。それでもやはり、ニジマスに関しては豊平川は魚影が濃いと信じている自分がいるので、また雪代が落ち着いたら出向いてみようと思っています。このままでは終われない。

やっぱりカラスは好きじゃない

先日、なんだか外が騒がしいので窓から顔を出し周囲を窺ってみると、何やらスズメが叫んでいます。その中心には真っ黒なハシブトガラスがおり、その嘴の間には何やら茶色のものが。どうやらスズメの幼鳥がカラスに襲われたようです。

親鳥はあきらめずに喚きながら必死にカラスを攻撃しますが、カラスは一向にお構いなしと言った感じでそのまま飛び去りました。親鳥も追っていきましたが、凶暴で真っ黒なくちばしに挟まれたスズメの子は助からなかったでしょう。

こんなことは私が目撃していないだけで、毎日いたるところで起きていることでしょう。でも正直落ち込みました。一日に何度も餌を運び育て、やっと巣から出て独り立ちの準備をしていたわが子が攫われたその痛みは、想像するだけで胸が締め付けられるものです。

さて、私は以前からカラスが好きではありません。野鳥を愛する者として失格だとは思いますが、事実嫌いなので仕方ありません。特にハシブトガラスは正直とても嫌いです。一時期カラスに焦点を当てた書籍などが流行りましたし、彼らにも愛すべき側面や面白い生態があり、非常に賢いことも知っています。

君たちは雑食だろ? なんでも食えるんだろう? なぜわざわざほかの鳥の卵や幼鳥を襲う必要があるのだろうか。そんなことをすれ違うたびに聞いてみたくなります。もうどうしてもほかに食べ物がなくて仕方なくほかの鳥を襲っているのではなく、なんかそんな気分だったからという顔で蛮行を犯すから許せないのです。

ワシがカモ類を襲ったり、タカが小鳥を襲ったり、ミサゴが魚を獲ったり、チゴハヤブサがカワラヒワを襲ったりすることとちょっと意味が違います。ハシブトガラスはゴミや動物の死骸を漁るべきだ、というカクアルベキ論をついつい口にしてしまうのです。

いやいや、わかっているんですよ。カラスにも都合があることくらい。でもやはりそこも含めて嫌な部分がどこか人間に似ていて、そこがまた憎らしく感じてしまいます。

そんな彼らは自意識過剰気味で、繁殖期にはほかの鳥以上にピリピリして、通り過ぎる人を攻撃することもあります。私も何度かしつこく追いかけられました。いやいや、誰もオマエの子供になんか興味ないから!とボソボソ文句を垂れてしまいます。

せめてもう少し数が少なく、体が小さければ好きになれそうなんですが…そんな彼らも夏場、直射日光に晒されゼエゼエ苦しそうな姿を見るとちょっとかわいそうになってしまうからズルいところです。

そういえば台湾では全くカラスを見かけませんでしたね。いるんでしょうけど数は日本より少なそうです。

侍タイムスリッパー:映画レビュー

幕末の武士が雷に打たれて現代へタイムスリップ、というありがちな設定なのですが、その移動先が時代劇の撮影所だから話がややこしくなります。見た目が武士ということでそのまま切られ役として働くことになりますが、もちろん主人公は本物の武士なのでただ切られることを潔しとせず、いろいろ問題を起こしつつも、現代の生活になじんでいきます。

単に現代の生活に馴染むだけではなく、時代劇の切られ役としての現代人、というかなり特殊な環境下、それも時代劇自体が下火の今の時代というのも、また事態を面白く複雑にしていきます。

最後には衝撃の事実が明らかにされ、最後まで飽きずに鑑賞することができました。ネタバレになってしまうのでストーリーについてはこれ以上触れません。

現代では「職業」という考えが一般的で、それは生き様とは無関係です。専門的なイメージのある職業に就いている人も、職場を離れればただの人であり、家庭を築き趣味を持ち社会の中で淡々と死ぬまで生きるわけです。

一方、武士は職業ではなく生き方そのものであり、それは選択できないし嫌だからといって辞められるものではない。

我々には職業選択の自由があります。どう生きるかという生き様まで深堀する人はほとんどいません。それはもちろん、する必要がないからでしょうが、せっかく生きているのだから何か人生全般に適用される指針みたいなものがあると、どのような状況下でも強く、そして謙虚に生きられるんじゃなかろうか、主人公を見ていてそう思ったのでした。

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