【2025/5/29】堰堤を二つ超えてウグイを釣る

前回、カラスの悪口をこのブログで書きましたが、その翌日、案の定カラスに襲われました。この時期、どうしても鳥を見たいので上を向いて歩きがちでかつ頻繁に立ち止まるので、巣を狙う不届き者だと勘違いされるみたいです。

去年も襲われ自宅も割れてしまったので、ブラックリスト入りしていることは間違いなく警戒していたのですが、それが彼らにとっては不自然な動きに映ったのでしょう。

めっちゃ日焼けしているのに日傘をさして徘徊する不審者になってしまいました。

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堰堤を二つ超えて釣るウグイ

昨年から開拓を進めていた川があって、まだ入っていなかった最後の区間を踏破してきました。最近やっていなかった長時間の釣行でしたが、脱渓地点が分かっているし、国道と並走しているのでそこまで覚悟は必要ありません。でも思っていた以上に長く暑さもあり消耗しました。

入ってすぐにヤマメが釣れ、これはもしかして尺ヤマメとか出ちゃうんじゃないかと期待に胸を膨らませて釣りあがりを開始したのですが、結果的に3時間の遡行で釣れたのはそのヤマメ一匹だけでした。よくある話です。

2度ウグイは釣れたのですが、大変申し訳ありませんが「釣れた」とカウントはできません。途中、大きな堰堤が二つあり、脇をよじ登って高巻きをしたりと久しぶりにちょっとアウトドア感が出ました。

ところで、あなたは堰堤は好きですか? 私は堰堤は好きではありません。その理由は不思議と恐怖を感じるからです。

音が大きいのはもちろんのこと、その圧倒的な水量と、コンクリートの平面直線がとても不気味に感じ、底知れぬ恐怖に襲われるからです。

堰堤の下にはたいてい深場が形成されており、いかにも大物がついていそうで(ついていない)ルアーで釣りあがってきた人にとってはまさにオアシス的な癒しを提供するのでしょうが、浅場専門のテンカラマン的には、そこはただ不気味に淀む場所であり、釣り場としての魅力も全く感じません。ただただ怖い。

堰堤が大好きという人も結構多いでしょう。各地の堰堤ばかりを車で巡り釣りをしている人もいるはずです。

何はともあれ、その川の入渓可能な地点はほぼ網羅できました。結果的に最初に踏破した区間が最も魚影が濃かったという、こちらも渓流釣りあるあるな展開に落ち着いた次第です。時間を返してほしいものです。

それでも、入っていない区間があるというだけでいつまでも胸のどこかに引っ掛かり続け、死ぬ間際の後悔として思い出されそうなので、どうしても頭の中にある地図は塗りつぶしておきたくなります。

ひとつの羽根から

釣りをしているときに、しばしば鳥の羽を見つけます。おそらく渓流釣りをしている人は皆そうでしょう。

いきなりポツンと一つだけ落ちていることもあれば、猛禽類が小鳥や水鳥を襲った跡なんてものもあり、その場合は羽根がまとまって大量に落ちているのでついつい立ち止まってじっくり見てしまいます。

今回の釣行で、見たことのない個人的には珍しい羽根を拾いました。通常、まずは大きさから小鳥なのか水鳥なのか、はたまた大型の鳥なのかのアタリをつけ、そしてどの部位かを推測します。

もちろんそれだけでは知識のない私は同定できないので、最後は図書館で羽根図鑑を見ながら特徴が一致するものをひたすらページをめくり探しだすのです。こちらが原寸大かつカラー写真なので見易くお勧めです。高価で希少な本ですが、だいたい図書館には置いてあります。

それでも、個体差もあるし図鑑といえど完璧というわけではないので、同定できることは少ないのですが、今回拾ったこの羽根はほぼ確定と言っても差し支えない結果となりました。

形状的に風切り羽根もしくは尾羽ではない。そして色と拾った場所から推測するに、おそらくカモの仲間、この時期の河原でしばしば見かけるマガモかカルガモを予想していたのですが…結果はなんとオシドリでした。

オシドリは非常にカラフルな鳥でどこがどうなっているのか素人目にはさっぱりわかりませんが、図鑑によるとこの羽根はどうやら肩のあたり、普段は翼に隠れて見えない部分みたいです。

黒い部分のメタリックな質感、抜けるような白さ、ただものではないと思っていましたが…オシドリとはちょっと予想外の結果でした。オシドリは沼や湖にいる印象が強いですが、意外にも水辺近くの林の樹洞で繁殖を行います。この羽根もそんなオシドリから落ちたものなのでしょうか。想像が膨らみますね。

一言を添えて額装し、キッチンに飾りました。

懐かしいからではなかった

私が幼いころ、祖父の自宅に遊びに行くと彼は必ず毎日17時からの水戸黄門を早めの晩酌をしながら見ていました。それが恐ろしく真剣に見ており普段はひょうきんで優しい祖父が私が少し騒ごうものならマジギレで「うるさい!」と怒るところを見ると、黄門様鑑賞は大人にとっては何か重要な儀式めいた大切ものなのだろうと幼かった私は思っていました。

そして、おそらく祖父が若かったころは街も人もあんな感じ(お侍はちょんまげに羽織袴で、農民は顔に土を付けてボロを纏っていた)の世界に生きていて、それを懐かしく思いながら、感傷に浸りながら見ているのだろうと考えていました。

ですが、私の祖父は昭和3年生まれだったので、どう考えてもちょんまげのお侍が街を闊歩する時代には生きておらず、懐かしいわけではなかったのです。それなのになぜか時代劇が大好きでしたよね、昔の人は。

要するに、彼らは懐かしいから見ていたわけではないのです。当たり前なんですが。

一方、今は時代劇は風前の灯を言えるような状況で、専門チャンネルなどでしか視聴できない時代になりました。これは「時代劇の時代」からさらに時間が経ってしまったからなのか、それとも日本人の中で求めるものが変わったからなのか。

祖父が水戸黄門を見ていた段階ですでに250年ほどのギャップがあるので、時代が近かったからという理由ではなさそうです。やはりそこには、日本人が求めていた勧善懲悪、驕れるものは久しからず、天網恢恢疎にして漏らさず、お天道様は見てんだかんな、的な価値観があったのでしょう。

しかし現実世界では悪が栄え、要領が良い人が出世をし、チートがまかり通るという事実は今も昔も変わらず、その理想を時代劇の中の黄門様に託し、毎晩留飲を下げていたと思われます。

いやむしろ、社会の不公平さや理不尽さは昔のほうがひどかったはずなので、今を生きる私たちが黄門様を必要としなくなったのは良いことなのかもしれません。

それにしても、私が祖父の家に長期休暇の際に遊びに行っていた段階で、彼は定年退職済みでまさに悠々自適な生活を送っていたので、そんなストレスはためていなかったはずです。毎日、カラオケだ、将棋だ囲碁だと遊んでいた記憶しかありません。

さて、話を戻しまとめると、勧善懲悪的時代劇が今は下火になった理由は以下の2点が考えられます。

  • 現実を受け入れることができるようになった
  • 社会がマシになり見る必要がなくなった

世の中は良くならない、要領よくバレずに悪事を成すものが栄える、そんな事実からは逃げられず世の中そんなもんだと悟った我々は、その現実をダイレクトに描くような映画やドラマを好んで見るようになったとも感じます。

そして、今の私たちから見ると、黄門様的勧善懲悪はいささか幼稚に見えることも否めません。これに関しては、娯楽の幅が広がり、より洗練されてきたとみてもよいのでしょう。

悪が暴かれ懲らしめられるだけではなく、スキのないお供二人に加え、お色気担当と仕事ができる忍者、そして完璧すぎるからと「うっかり担当」まで配置したそのご一行はいささか出来過ぎです。

そして先ほども触れましたが、昔に比べ理不尽が減り、黄門様で溜飲を下げる必要がなくなったという側面もありそうです。世界は少しずつその理想に近づいているのでしょうか。

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