もう大昔の話になって、40代の私にとってもなじみの薄いマルクスの考え方ですが、かつては世界に大きな影響を与えた大思想であることは間違いありません。
いまさら聞けないマルクス主義、共産主義ついて、簡単に要約して説明を試みます。
社会の階級の違いが争いのもと
人類の争いの歴史は振り返ってみると全部、階級の違いが原因なんじゃないかという考えです。階級とは主人と奴隷、王様とその部下、資本家と労働者…そういった立場の違いが争いを生んできたと主張したのがマルクスの考え方です。
今で言うと会社の役員と一般の社員の間のいざこざの歴史だということです。現在でも格差は確かにありますが、マルクスの考えが広まった当時は労働者は劣悪な環境下で働き、人間としての扱いを受けていませんでした。労働者は奴隷みたいなものでした。
小林多喜二の蟹工船がわかりやすい例ですね。現在でもブラック企業というものが存在し、労働者は「搾取」もしくは「利用」される立場ではありますが、人間らしい最低限の生活は送ることができます。それが当時との大きな違いです。
20世紀になって貴族や王様が平民を支配する時代は確かに終わりましたが、それが資本家と労働者に置き換わっただけであり、大きな階級の違いが存在することには変わらないのです。そして資本家も王様や貴族と同様に、合法的にどんどん労働者を利用してお金をためていくことができます。
でも争いは国の間で起きてない?
ここで一つ、矛盾があると感じませんか。戦争は国家や民族、宗教のもめごとなんかで起きているではないか、と思うでしょう。たしかに表面的にはその通りなのですが、実は違うとマルクスは指摘しています。
それは国内で搾取する対象が無くなった資本家がナショナリズム(愛国心)、民族や宗教の団結心をうまく利用して、国民を戦争へと駆り立てているだけだというのが、マルクスの考え方です。これは重要なポイントです。
ひとたび戦争が起こると人もモノも激しく移動しますし、破壊から新しい需要もたくさん生まれてきます。一度世界がぐちゃぐちゃになると、そこには資本家がさらにお金を貯めることができる土台が出来上がってしまうのです。
そのようにして資本家は、状況が落ち着いてきたところを見計らって、戦争や紛争を発生させ、自分たちの都合の良い状況を継続できるようにしている、らしいのです。私も実際にこの目で確認したわけではないので、よくわかりませんが、よく陰謀論なんかで語られることですね。
身近な資本家の手口
戦争とか紛争みたいな大きな話ではなくて、もっと身近な例で考えてみましょう。例えば服の流行も完全に資本によって作られています。みんなが今持っている服をぼろぼろになるまで大切に使う世の中になると、服飾業界は生き残れません。
そこで、新たな流行を生み出すための工夫をします。TVに出ている芸能人や、インターネット上のインフルエンサーに少し変わった服装をさせて、それがおしゃれなんだとユーザーに思わせるのです。
人間は社会やグループに所属したい、そこからはみ出したくないという本能があるみたいです。大昔、コミュニティで助け合って狩猟採集をしていた時の本能が残っているのでしょう。みんなと大きく違う服装をしていたり、ぼろぼろの服を着ていたりすると「変な奴だ」と思われてしまう。周囲から浮いてしまうのが怖いのです。
そういった人間の本能をうまく刺激して、資本家は次々に新たな金儲けの仕組みを考えているのです。もうこれは、この時代を生きる私たちにとって避けられないことでしょう。そして現代では、エコロジー、エシカル、ロハスといった言葉も本来の意味は消えてしまい、広告のセリフになってしまいました。
資本家がもたらしたもの
資本家がもたらしたものとは何でしょうか? まずは「人間らしい関係性を壊した」ということでしょう。資本家の考えは合理的で、お金以外の結びつき、利害関係以外の横のつながりを否定します。お金だけが人との関係を作るのです。職場の人間関係みたいなものです。
この百数十年で資本家が作り上げた工業社会は、過去のすべての世代を合わせたものの何倍もの生産力を生みだしました。合理的な生産システムと、人間という労働力を両軸に、ひたすら富を生みだし、自然を破壊し、電気通信を整備し、陸海空の輸送を支配し、すべてを資本主義の仕組みの中に取り込みました。
そうやって無理に需要も供給も拡大すると、あるとき恐慌が発生します。恐慌の発生の仕組みについてはまだはっきりとわかっていません。しかし、このたくさん作りすぎたりたくさん消費させすぎたりすることが原因であることは間違いなさそうです。
なぜなら、原始社会はもとより、中世でも経済恐慌は発生していません。その代わり飢饉や干ばつ、疫病でたくさんの人が亡くなっています。
資本主義をそのままにしておくと、際限なく拡大を続けていき、競争も激しくなるばかりです。そして定期的に訪れる恐慌に一般の人たちは苦しむことになります。このように欲望の赴くままに突っ走ると何が起こるのでしょうか。
「共産党宣言」に書かれていること
革命を起こせ、下剋上だ! すなわち労働者が団結して資本家をやっつけろ、というのがマルクスの考えでした。そしてそれは一つの国のなかだけでは意味がないと言っています。その理由は先ほど書いた通り、国を超えて資本家の力が及んでいる、むしろ、国というものを利用して資本家が資本を蓄えているからです。
ということで「国を超えて世界中の労働者よ団結せよ」というのがマルクスの呼びかけです。実際にこの呼びかけに応じて世界中で混乱が起きます。そして、間違って解釈をしたり、マルクスの考えはいいように利用されたりしました。
でも実際に共産主義革命は起きませんでした。革命家と呼ばれる人が好き勝手行い政権を奪取した例はありますが、団結した労働者によって資本主義がひっくりかえったためしはないのです。
中国やソビエト連邦は共産主義社会が到来したのではなく、ただ共産党という政党が政治を牛耳っただけであり、力を持つ人が資本家から共産党員へ移っただけのことです。資本主義のおいしいところは残したまま、共産党の理念だけを表面上掲げたのでした。
まとめ:資本主義に代わるものとは
少なくとも私が生きてきた40年の間、資本主義は安泰でした。高度に発達した資本主義がベースになっている国々では、飢饉も干ばつもなく、そして疫病や紛争も発生していません。でもそれは、国を超えて資本主義が蔓延していることによって、国家間の貧富の差が出来上がったからです。
日本のような資本家国家と、アフリカや南アジアの国々ような労働者国家に分かれたということです。でも人間ならば、世界のすべての人が生活に困ることがないように生きられたらいいなと願うのは当然でしょう。
資本主義は貧富の差もそうですが、環境負荷がとても高いことが明らかになりました。資源には限りがあり、いつかは枯渇します。なるべく長く人類が生き残るために、次の世代が私たちと同じように人生を楽しめるように、仕組みは変えていかないといけません。
資本主義の次は共産主義だというマルクスの考えは実現しませんでした。ではどんな社会が次に来るのでしょうか。いずれにしてもそれは自然に発生するのではと私は思っています。私が言う自然に発生する次の段階は「人間による自滅」です。なんだか陰鬱とした締めくくりになってしまいましたが、同じように考えている人は多いでしょう。