弁証法という言葉は知っているけど、うまく説明することができない…そんな人に向けて具体例を使い、わかりやすく説明をしてみたいと思います。
つねに物事をよく観察し、その中にある矛盾を見つけ出して、さらなる成長を試みる前向きな考え方が弁証法で、一人ひとりの成長と社会の成長に注目する、現代を生きる私たちの思考のベースとなる考えでした。
※私は30代になってから通信制の大学で哲学を学びなおしました。その過程でヘーゲルにも手を出しましたが、難解なので完全に理解できていません。詳しくは専門書も読んでください。
ヘーゲルが唱えた弁証法とは?
弁証法とは以下のように考えるとわかりやすいです。
- 真理に到達するための方法の一つ
- 対立する二つの事柄のいずれかを採用するのではなく、第三の道を作り出す
- ある物事の逆を提示し、その二つをじっくり観察し違うものを生みだす
具体的に以下のような要素で弁証法は成り立っています。
- テーゼ:最初のお題 現状で絶対に正しいとされていること
- アンチテーゼ:テーゼに矛盾・否定する考えやアイデア
- ジンテーゼ:テーゼとアンチテーゼから導かれた、完成形
- アウフヘーベン:テーゼとアンチテーゼを総合しジンテーゼへ向かうこと
「どんなものごとも矛盾という爆弾を抱えている」というのが弁証法の出発点です。
最初のお題( テーゼ )にある矛盾を突いた考え( アンチテーゼ )を用意し、その二つを融合させ新たな考え( ジンテーゼ )を生みだすこと。この一連の思考法を弁証法と呼びます。
この方法を繰り返して個人も人間社会も「らせん状」に成長していきます。
なぜ「らせん状」なのかというと、なにごとも一直線に成長していくことは不可能で、あれこれ考えて変化していく中で、過去のアイデアを取り入れたり、また一時的に後退したりを繰り返しながら、人も社会も成長していくからです。
まさに「3歩あるいて2歩さがる」に近いでしょうか。
もうこれ以上アンチテーゼが出てこないところまでこの作業を繰り返すと歴史の完成ということになります(たぶん訪れません)。
ところで、矛盾する考え方を提示する方法の元祖といえばソクラテスを思い浮かべる人も多いはずです。ソクラテスの問答法との大きな違いは、弁証法では一つ一つに問いに対して一時的な回答( ジンテーゼ )を用意してくれていることでしょうか。
さらにその回答に対して疑問を投げかけていく繰り返しが歴史を作っていくとした点です。ヘーゲルはそれを形としてまとめた最初の哲学者です。
弁証法の実際の例を2つ紹介
もっとも身近な弁証法は「生と死」
このブログを読んでいる人は生きている人だと思います。もし死んでいる人がいたらご連絡をいただければと思います。
さて、この生きているということの最大の矛盾点、隠されている反対の要素は何でしょうか? かんたんに想像がついたと思いますが、それは「死」なんです。
最も身近なんだけど、最も難しい弁証法の例として、人間はよくこの問題を真剣に考えます。皆さんも実は知らず知らずのうちに毎日この弁証法的な思考を行っているはずです。
死を避けるために生き続けなければいけないのだが、ただ生きるだけではいけない。ではどうやって生きていけばよいのだろうか?
もし、私たちの生に「死」という矛盾要素がなかったら、私たちの生はつまらないものになってしまうでしょう。つまらないというよりは、まったく前進も発展もない人類の歴史になっていたでしょう。
死ぬことのイメージはとてもネガティブで誰もが避けたいものなのですが、実はこれがないと私たちは創造的に生きていけないのです。
このことからもわかるように、物事は矛盾点や負の要素があるからこそ成長発展があるのです。それの一番わかりやすい例が、私たちの生と死なんです。これに真っ向から向き合って「生と死の弁証法」を展開し、自らの死をもってしてアウフヘーベンしたのがソクラテスなんです。
弁証法で発展してきた国家
わかりやすい例をもう一つ。
ある時代、一人の勇猛果敢な武将が国を統一しました。彼は武力に長け戦場では兵を率いて大活躍するのですが、平時の政治に関しては全くと言っていいほど適性がありません。
そこで、内政力が高い知識人に国を治めてもらったほうがいいのでは、という考えが国の中に起こってきます。その二つを合わせて、武力に優れた人と内政力に優れた人、二人による統治はどうだろうか、という結論に至ります。
さて、この武官と文官の二人政治という理想形と思われる仕組みができました。でも、武官が武力で文官を黙らせ意見を強める可能性があります。そこで、武官と文官の意見を調整する役を決めて、その人に最終的な決定権を持たせることにしました。
これで、武官、文官、調整役という3人での政治がはじまりました。でもまだ、不安要素はあります。調整役がどちらかの意見に傾くと、国の方針が極端な方向に向かってしまうことも考えられるからです。だから、調整役は3人にして意見が対立した時には多数決で決めてもらうことにしました。
このように、現状をしっかり見つめ、それの問題点(矛盾点)を洗い出して、何か新しい方法を考えていく過程が弁証法と言われている方法なんです。たまにうまくいったり、間違ったりしながら私たちの社会は前進してきたのです。
これが「弁証法」による歴史の発展です。同じことが個人でも、経験を通して日々行われているのです。
ヘーゲルってどんな人だった?
ドイツ観念論の代表的哲学者
1770年ドイツのシュトゥットガルトに生まれます。同世代のドイツにはベートーベン、ゲーテという優れた才能を持つ人たちがいました。フランス革命が1789年なので多感な学生時代に社会の激変を目の当たりにし、そのこともヘーゲルが哲学に身をささげた要因のひとつです。
若い時から優秀で落ち着いた学者肌で、大学を出て新聞の編集をしたり教師をしながら論文の執筆をし、ハイデルベルク大学の哲学教授になります。のちに名門ベルリン大学の教授となり総長に抜擢されます。61歳でコレラが原因で死去。主な著書として「精神現象学」「大論理学」「エンチクロペディ」「法の哲学」があります。
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