冷酷非道で恐ろしい考えと言われているマキャベリズム。ニッコロ・マキャベリが表した「君主論」に語られる、君主のあるべき姿と統治の方法は、目的のためには手段を択ばないという強硬な姿勢を求める内容でした。
でもどんな書物もその文脈とともに読み進めなくてはいけません。果たしてただの恐怖政治を説いたものだったのでしょうか?
ニッコロ・マキャベリの生涯

1469年、ニッコロ・マキャベリはイタリアのフィレンツェに生まれます。父は学者であったようです。
幼少期からラテン語、数学などの教育を受け、29歳の時に書記官としてフィレンツェ共和国のいち官僚として働くことに。当時のイタリア半島は群雄割拠かつ周辺各国がそれに介入をしているまさに戦国時代という状況であったため、当然、周りの国とうまく立ち回る必要があり、マキャベリはそんな難しい外交交渉を担当することになります。
各国との交渉の中で、政治家や官僚の様子を観察し、統治者に必要な資質について次第に考えるようになっていきます。特にたびたび訪れたフランスの官僚や、軍人チェーザレ・ボルジャとの出会いは彼に大きな影響を与えました。
1512年、政変が起こりマキャベリは職を失い、一時は罪に問われ投獄されてしまいますが、新君主の就任による恩赦により解放され、その後は山村で静かな蟄居生活を送ります。しかし根っからの官僚気質だったマキャベリの政治への関心は薄れることはありませんでした。
再起のチャンスを覗い、時の権力者へ献ずる目的で書かれた「職務経歴書」的なものが「君主論」というわけです。名著はこのような経緯で誕生したというわけです。
「君主論」が示した統治者のあり方とは?

リーダーに求められる「徳」とは?
それまでの統治論と呼ばれているものは「君主の鑑」を求めるものでした。要するにキリスト教的モラルの体現者であること、民衆を信仰へ導く人間的にも優れている人でなければ君主は務まらないと考えられていたのです。
でもそんな理想的な君主は想像上で語られるだけで一度も見たことがなくない?というのがマキャベリの君主論の出発点です。過去の君主像は、現実には存在するはずのない君主制を夢想していたにすぎない。一人の人間で例えると、実際にどのように生きているのかと、どのように生きるべきかは非常にかけ離れている、それと同じだとしたのです。
国を守る責任を負うということは、ライオンのどう猛さとキツネの狡猾さを身に着け、統治のためには時に、キリスト教的モラルから見れば「悪」とされる道へも踏み込む必要がある。
君主にとっての「徳」は一個人の「徳」とは全くの別物として考えられるべきであり、それはキリスト教的な道徳や善行ではなく、シンプルに政治的・軍事的力量に他ならない。その力量だけで君主はいかなる苦難をも乗り越えることができ、勝利の女神にニヤッとさせることができるのです。
ですが、マキャベリの統治論の基礎になるのは、それらの統治の目的はあくまでも人民と国家を守ること、彼らの安寧を勝ち取るためであることは忘れてはならないとしています。
そして、中途半端にいい人でいると周囲全てを敵に回すことになるが、ある方面には非情な態度でいることによって相手を絞り敵を減らすことができれば、四面楚歌の状況に陥ることはなく脅威は減ると考えました。
当時の時代背景と適用されうる条件
マキャベリズムは当時のイタリア半島の情勢から生まれた考えとも言えるでしょう。
彼の一見過激に思われる政治思想は、当時の状況を知れば最も理にかなった国を守る方法だったと言えます。時代が変われば政治のありかた、国防の方法も当然変わります。当時は権謀術数の渦巻く世界であり、やらなければやられる世界であったから、政治的に邪魔なものを殺害することをもいとわないものであったのです。
すべての点で善を為そうとするものは、必ず悪だくみをする者たちにによって足元をすくわれる。善はすべてに於いてではなく、限った場所(身の回りなど)で適宜使うもので、常時そうである必要はないのです。
仮に民衆が「市民の鑑」であれば自身も「君主の鑑」であってもよいが、実際の民衆や側近たちは恩知らずで移り気で、猫かぶりで、空とぼけていて、危険を避けようとし、儲けることにかけては貪欲なのです。そんなものと対峙するときに、ただの善人では簡単に破滅してしまうし、非統治者である民衆にも被害が及んでしまいます。
味方にも敵にも弱みを見せてなめられてはいけません。恐れられ嫌われるのは結構だが、決して恨まれてはいけない。恨まれる行為として「市民からの搾取」は避けるべきであり、恨まれると君主のみならず国家への忠誠をも揺らがしかねません。
チェーザレ・ボルジャから学んだ決断
残忍で冷酷であっても、決断と行動ができるのであればOK
マキャベリが理想の統治者のモデルとした軍人チェーザレ・ボルジャはモラルとはかけ離れた人でした。決断力、迅速な行動により次々とイタリアの諸都市を占領し、占領した各都市では平気で粛清を断行し、早期に問題の芽を摘み短期間で平和をもたらしたのです。
ですが、チェーザレの本当に恐ろしいところは、命令でその粛清を実行させた部下を殺し市民の面前にさらしたことです。これで反乱分子の怒りの標的を自分に向けさせないようにしたのです。やるからには徹底してやる、少々の犠牲は厭わないという断固とした態度ですね。
即断即決によって、将来の大きな損失の代わりに今の小さい損失を選ぶ。
なすべきことのために、実際になされていることを軽視するものは、自らの保持よりもむしろ破滅を選び取っている、あくまでも現状最優先で理想はそれといつでもつながったところにあるのです。
自前の軍隊の重要性
外国の傭兵部隊は金がかかるし、いざというとき役に立たない。
フィレンツェは自前の軍隊を持っていませんでした。多額の資金を傭兵につぎ込んで財政はいつもひっ迫していたようです。外国人傭兵部隊は職業軍人ですのでたしかに強いのですが、いざというときに所詮カネで雇われているという弱みを露呈し、役に立たないものでした。
マキャベリは自前の歩兵軍の創設を提唱し、反対した貴族や豪族も納得させたうえで軍の創設を果たします。外国人に頼らない自前の軍隊は財政的にも負担が減り、長年の懸案事項だったピサの奪還にも成功します。市民の国威発揚にももちろん効果があったようです。
彼は著書の中で、ほろんだ国の共通点として自前の軍隊を持たなかったことを挙げています。
まとめ:イタリア半島統一という夢

彼は統一イタリアを夢見ていたのかも。
フィレンツェ一国ではなくイタリア全土が外国勢力から解放されるには、この「君主論」に描かれているような強力なリーダーシップを持った君主が必要でした。単なるリアリストにとどまらず、理想も語っていたマキャベリですが、あくまでも理想へ至る線は現状とつながっているべきで、現状を変えていくためには断固とした姿勢と決断が重要になるのだと語っています。
「君主論」はナポレオン、ヒトラー、スターリンが愛読したとも言われており、自分の暴力的な統治の裏付けに利用されうる書物として、危険だとみられることもしばしばありますし、現実問題、そういう読み方も可能な書物です。
そして、このような言葉もあります。「君清平之奸賊乱世之英雄」(君主は平時にはどうしようもないやつだけど、乱世になれば英雄になる。)これは三国志に登場する曹操を評して書かれた一節ですが、曹操は機知・権謀に富むキレ者であった半面、放蕩を好み残虐な性格だったと伝えられています。
まさにマキャベリが心酔したチェーザレのようなタイプの人間です。世が乱れていて一刻も早い治安の回復が望まれる場合には、このような君主の登場がむしろ期待されると、マキャベリは言いたかったのかもしれませんね。
繰り返しになりますが、それでも市民に恨まれてはいけませんよ、と彼は言っています。社内や組織で何かを断行する際には、毅然とした態度と同時に周囲への配慮を忘れてはいけません。それができたら苦労はしないのですがね、いつの世も。