近世の大思想家ルソー最後の著作となった「孤独な散歩者の夢想」。そこには何が書かれているのか?
破天荒かつ真面目なルソーが晩年に考えていたことを知ることができます。
「孤独な散歩者の夢想」ってどんな本?
本書「孤独な散歩者の夢想」の概要
1782年に出版されたルソーの絶筆となるエッセイです。
孤独な散歩者とはもちろんルソー本人のことです。それまでは国家であったり、政治体制であったり、体系だった思索が多かったルソーですが、この本はまさに夢想といえる一冊になっています。「第1の散歩」から「第10の散歩」までの構成になっていますが、1778年にルソーは亡くなり「第10の散歩」は未完のままとなっています。
「告白」と似たスタンスの過去に思いを巡らすエッセイとして書かれていますが、こちらのほうがより自由に、思うがままに、晩年の迫害についてや幸福だったひと時について、飾らない言葉で表現されている印象です。
こんな人におすすめです
・晩年の大思想家ルソーが日々何を考えていたかに興味がある人
・どう生きるか答えを見出せないで苦しんでいる人
・幸福とは何かについて、ヒントを得たいと思っている人
印象的なシーンとフレーズ
散策中、頭を空っぽにし、何の抵抗もせず束縛も受けず、気質のままに思考しているうちに、ふと浮かんでくる夢想を忠実に書きとめることだろう。この孤独な瞑想の時間こそ、一日のうちで最も私が私でいられる時間なのだ。
光文社古典新訳文庫版 永田千奈訳
「第2の散歩」の一節です。もっとも私が私でいられる時間は、散歩と夢想。
最近では歩くことで健康になり良いアイデアも生まれるとして、散歩しながら会議をするなんて企業や大学もあると聞きます。このころからルソーはそのことに気がついていたんですね。
歩くと体がポカポカしてきて、いろいろなことが頭をよぎります。
今悩んでいることも、過去のことも、まさに雑多な事柄が頭を通り過ぎていきますが、自宅であれこれ考えているときよりも、打開策がスラスラ出てくることが多く、前向きになれます。迷ったら散歩に出かけましょう。
私が心から懐かしむ幸福は、こうした一瞬のものではなく、単純でゆっくりと継続する時間にある。一瞬のきらめきはなくても、時間がたつにつれて魅力を増し、至福の時間へと昇華するものなのである。
光文社古典新訳文庫版 永田千奈訳
- 自己愛を強く感じる自然下での自分
- 利己愛を満たす社交界の自分
どちらも必要なもの、それが生身の人間だと、読んでいて感じました。
彼女が私の心を満たしてくれたように、私にあの人の心を満たすだけの度量があったなら、彼女とともに静謐で甘美な日々を生きることができただろうに。
光文社古典新訳文庫版 永田千奈訳
貧困に打ち勝つための備えとして最も有効なのは、才能を蓄えておくことだと思った。そこで私は、できることならいつの日か、最愛の女性、ヴァランス夫人の与えてくれた援助に報いることができるよう、残された時間を有効に使おうと心に決めたのだった。
光文社古典新訳文庫版 永田千奈訳
ともに「第10の散歩」より。彼女とはヴァランス夫人です。母のような存在であり、愛人でもあった、ルソーにとっては忘れられない恩人です。
青年期の苦しくとも充実した時期を共に過ごした女性なので、美化されている側面もあるのでしょうが、晩年まで感謝と、それに報いることができなかった後悔が頭から離れなかったようですね。
ここで本書は彼の死によって未完となっています。なんというタイミングでしょうか。
真剣に考える人にとって「生」はさらに難しい
ルソー最後の著作となった本書は、集大成というよりはその名の通り夢想の内容を書き記したもので、思い出すままに自身の人生を振り返り、その出来事や心の動きを追憶し、時に黒歴史にうなされ、時に甘美な思い出にいやされるという構成をとっています。
出版を意図したものではなかったでしょうし、「告白」とは違い自己弁護のための著作ではないので、ほんとにとりとめもない個人的な事柄で埋められていますが、64歳になった思想家が何を考えているのかなんて一般人の私には想像もつかないので、こういう書籍があることは救いになったりします。
そういった意味で面白い著作で、後世にまで読まれ続けている一因でしょう。
中心になるのは、第五の散歩で回想されるサンピエール島での2か月間の静寂、そしてヴァランス夫人との思い出。そしていやでも思い出すのは迫害。それに対する潔白の証明。本当に思いつくままに語られます。
そしてヴァランス夫人のことを書いた第10の散歩は途中で終わってしまっています。
やはり青年時代の恋の記憶は、人生で最も高ぶりを覚えるものであり、年を経るごとにそれは心の中で美化され、年々、過去の自分へのあこがれとそれに伴う後悔が強くなるのでしょうか。
今日の私が一番若い、ということを常に意識して悔いのないように生きなければいけない。でもそれは際限のないことで、いくらベストを尽くしてもやり残しはある。
そこで、最大の幸福は、なんの衝動も出来事もない、純然たる暇つぶしの時間(サンピエール島での植物採集)にあったとルソーは回想します。中年期の没頭(彼の場合は植物でした)がもっともしあわせだったようです。
改めて、幸せとは何なのでしょうか。激動に身を置くのか、安寧を求めるのか。そんなことを考えさせてくれる一冊です。