【2025/4月3週】自転車に乗り、鳥を見て、あんパンを齧り、映画を見た

そろそろ釣りのシーズンが始まります。閑古鳥が鳴きに鳴いていたこのブログもにわかに活況を呈してくるよい季節です。てか本当に、冬季間のアクセス減でモチベーションがズタボロになるからなんとかしたい。

今シーズンは釣りガイドはお休みすることにしましたが、マップの販売と更新は続けていくのでそちらをご検討ください。

ということで、今度こそ定期更新を再開したいという想いとともに書いてみました。最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

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恵庭まで自転車

今シーズンの冬はちょっと変わった経過をたどり、1月2月はわりと平穏だったのだが3月にたくさんの雪が降り、気温も上がらず春の訪れが遅くなりました。というわけで待ちに待った自転車デビューの日も例年よりやや遅れましたが、先日やっと漕ぎ出すことができました。

まずはなまった体を何とかしようと約20キロの道のりを休憩をはさみながら走ってきましたが体力の衰えを感じます。30代後半と比較すると全く無理が効かなくなってしまった。自転車で長距離の旅行ができるのもあと数年がいいところだろうと、ちょっと寂しい気持ちになりました。

私の家から恵庭の市街まではほぼアップダウンの無いなだらかな国道が続いています。恵庭まで行けばたくさんお店もあるしきれいな川も流れているので、サイクリング先としてとても魅力的です。この日もモリモトであんパンを買って、茂漁川の河原に座って食べました。

行き交う人を眺めながらあんパンをかじっていると、目の前で魚が跳ねました。多分ヤマメなんだろうと思いますが、いかんせんまだ禁漁期間ということもあり、ただ眺めるだけでしたがそれでもやはり、釣りが好きな人間には川の流れそのものが非常に魅力的でありまして、毛ばりを流すことなしにすっかり満足して再び自転車にまたがりました。

道中、ニジマスが生息している川があるのだが、気の早い釣り人が早速釣竿を川面に映していました。と言ってもこの川、夏になると藪に覆われてほぼ立ち入り不可能になるので、この時期にしか入ることができない川ではあります。

護岸され一直線にされた悲しい川で見た目はしょぼいんだけど、水はとても鮮烈でマスが棲んでいます。今週の天気がいい日にプラッと散歩がてら、私も初振りに出かけたいと思いました。

恵庭市街からは、樽前山と風不死岳の姿が。やや黄砂が舞っているのか、視界は黄色い膜に覆われているように感じます。この下を流れている漁川はここ数年ずっと気になっていて実際に何度か入っているんだけど、ウグイしか釣れたことが無いんですよね。

千歳川につながっているし確実にニジマスはいるはずなんだが、おそらく数はとても少ない。でも何とかして一本あげてやりたいので今シーズンは通ってみようと思っています。

3月下旬から4月上旬の鳥

渡りのシーズンになり、上空には北へ向かうハクチョウやガンカモの群れを観察することができるようになりました。こちらはハクチョウとマガン(?)が混ざっている珍しい組み合わせです。目的地はほぼ同じだろうからwinwinの関係なんでしょうかね。種が違っても違和感はないんだろうか、コミュニケーションはちゃんととれるんだろうかといろいろ勘ぐってしまいます。

こちらはアトリです。2月後半からたびたび目にしました。シーズンによって増減が激しい鳥で全く観察できない年もあるんだけど、今年はどうやら当たり年だった模様。その代わり、とうとうレンジャクの群れは一度も見ることなく冬鳥のシーズンが終わってしまいました。

こちらは江別市某所のカンムリカイツムリのペア。比較的珍しい鳥なのですがこの沼ではプロパーです。3ペア確認。今時期に居るということは、おそらくこのまま繁殖をするのではないだろうか。ぜひその幼鳥を見てみたい。カイツブリだからやはり浮巣なんだろうか?

この沼では、ほかにはオオハクチョウ、キンクロハジロも観察できました。

頭上の枝にとまったヒガラ。シジュウカラ、ハシブトガラに比べるとみる機会は多くない種なんですが、今私が住んでいる付近では頻繁に姿を現します。この日は樹洞にせっせと巣材を運んでいました。一目でわかるほど他のカラ類に比べて小柄です。

シラカバを登り餌を探すアカゲラ♀。おなじみの鳥ですが出てきてくれると思わず雌雄の確認はしてみたくなります。後頭部が赤いとオス、黒いとメスです。あと背中の白い模様もよく見たほうがいいでしょう。不明瞭だとオオアカゲラということになります。油断してはいけません。

先日、ヒバリを見かけましたし、夕方から夜間にはオオジシギのディスプレイフライトの音も聞こえてきました。これから約1か月は野鳥観察に適した季節です。散歩が捗ります。

違和感を表現すること

社会で生きていると違和感を感じることがたくさんあると思います。それはもう違和感だらけだ!という人も多いのではないだろうか。

その違和感を表現する術がないと、メンタルがやられます。むしろほとんどのメンタル不調の原因はここにあるんじゃないだろうか。

言語化することがすべてではないし、「言葉にできない感情」というものが存在することはわかってはいますが、それでも言葉にして表現でき、それを誰かに伝えることである程度は解消緩和されるのもまた事実です。

そんな感じで違和感に忠実に向き合い生きていこうとすると、当然生きづらくなっていきます。それが起因でホームレスになった人も一定数いるはずです。それはさすがにやりすぎなのでみんなある程度その違和感にたいして折り合いをつけて、自分をだまし、他人をだましながら生きていく。そんな一人一人の嘘によって出来上がったのが今の社会というものなんでしょう。

そして、違和感を上手に商業的に表現できる人たちが俗にいう「芸術家」であり、逆にうまく違和感を表現できず、かといってどこかで妥協もできないと、社会不適合者となり通り魔とか「無敵の人」になってしまいます。

殺人事件の被疑者の容姿「40代、中肉中背、黒っぽい服装」。これをニュースで見るたびにドキッとしてしまいます。

STRAY~犬が見た世界

Amazon Prime Video より

Human begins live artificially and hypocritically and do well to study the dog.

DIOGENES OF SINOPE, 360 B.C.

このような引用からこの映画は始まります。トルコのイスタンブール、大都会に野良犬として暮らす犬たちの日常を記録したドキュメンタリー風映画で、犬好きにはたまらない作品なのはもちろんなのですが、考えさせられることの多い作品でした。

この引用のディオゲネスといえば、樽で生活したことで有名な哲学者で、最近ではミニマリストの始祖として注目の男ですが、犬が好きだったみたいですね。

トルコ政府は1909年から野犬の排除に乗り出しイスタンブールで大量虐殺が行われたという悲しい歴史があります。その歴史もあり、現在では野犬の捕獲と安楽死が違法という世界でも珍しい国となっているみたいです。知りませんでした。

ZEYTIN(上の画像左) という犬が主人公。ほかの野犬と遊び、食べ物を探して雑踏をさまよい歩き、ホームレスの少年たちと廃屋で一緒に眠る、そんな生活が淡々と続いていきます。彼はいつも優しく穏やかな表情をしていて、何物にも固執しないその姿はそれこそ哲学者のように映ることも。

もちろん、蹴られたり押されたり、街では邪魔者扱いされますが、人間との距離はちょうどよく、うまく都会の生活に溶け込んでいるようにも見える。今の日本には全く野犬がいないのでこういった光景がうらやましいとさえ思ってしまいます。実際には糞尿し放題だし狂犬病やそのほかの病気のこともあるから、問題はたくさんあるでしょうが…

幼かったころ、私が住む町でもまだギリギリ野良犬が存在していました。外犬が減ったり避妊手術が広まった影響なのでしょう、最近はかなり珍しい存在になりました。なんならヒグマよりもレアかもしれません。少し寂しく感じます。

話を映画に戻しますが、犬の生き方って本来こういうものなのだと感じました。犬を飼って(囲って)ドッグフードを与え、病気になれば薬を与え延命のために手術をする。それはなんだか違うと思います。「好きに生きて好きに死んでいく権利」が彼らにはあるんじゃないか。そして、それは野良犬というステータスが無いと保証されないものなんだ。

私も犬を飼っていました。だけど常に「これで正しいのか」と問い続けていました。亡くなった後に、私の飼い方は間違っていたとハッキリわかりました。ペットとして都市部で飼育するのは犬の本来の生き方を否定するもので、それがこの映画ではハッキリ描かれています。

都会で野良として生きるか、もしくは農場などで牧羊犬や番犬として鎖につながれず自由に歩き回る生活。犬の尊厳が保たれるのはこの二つなんでしょう。たぶん。

さらに突き詰めると、この映画は人間がいかに生きていくかということも考えさせる力があります。人間も社会に「飼育」されている状況下だと本来性が失われていく。運命を受け入れて謙虚に生きることを忘れさせる。他者を押しのけテンプレートの幸せ追及するだけの存在になり下がる。それが社会に飼われている我々の実像なんじゃなかろうか、と。

おそらく制作陣はそこまで考えてはいなかったでしょうが、いずれにしても犬の幸せとは?を問う素晴らしい作品であることに違いありません。

良いシーンがたくさんありますが、その中でもごみ収集をしているおじさんにもらった骨を、たくさんの人が行き交う道のど真ん中で満足げに頬張るシーンは、これぞ犬といった光景でホッコリしました。あとエンドロール時にZEYTINがモスクから流れてくるコーランの調子に合わせてハミングする姿も哀愁を誘います。

トルコの野犬はみんないい顔をしています。そのうち彼らに会いにイスタンブールに行ってみたい。

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