【2025/03/12】冬は何もしない、いやできない

いやー2週間くらいブログの更新さぼっちゃったなぁーと思って日付を確認したら3か月も更新していなくて焦りました。どうしてこう、良い習慣はなかなか身につかないのに、さぼり癖だけはすぐに習慣化してしまうんでしょうか。

もう少しで釣りにも行けるし、そろそろ定期更新を復活させたいと頭では指令を出すのですが、いかんせん心と体がそれに一切反応しないから困っています。

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PCを買った

ちょっと前、昨年末になりますが、PCを購入しました。

ハードディスクがひん死の状態となり頻繁に強制終了するようになったので、ヤフオクで物色をし購入してみました。

以前PCを買い替えたのはちょうど10年前。その時との比較なんですがWEB上で済むことの比重が増したので「引っ越し」という面倒さはほとんどなく、最初の Windows の設定とブラウザのインストール、ブックマークの同期などを済ませればあとは必要になり次第ソフトやアプリをネットからダウンロードしてくればいいので、その点からもネット環境というかPCをめぐる状況は大きく変わったなと感じました。

端的に言うとクラウド化が進んだということなんでしょう。以前であれば買い替えは大仕事でしたがあっという間に終わってしまった。

一昔前は絶対必要とまで言われていたオフィスソフトも今では不要だし、プリンターもコンビニで代替可能だし、極論を言えばネットにさえつながっていれば大丈夫な感じです。

買ったのは中古の9世代コア5、メモリが16ギガ、SSD512ギガのデスクトップ本体のみで価格は27800円。もうこれで十分な感じです。Win11にもギリギリ対応しているし、おそらくSSD以外は出荷時のままだろうから詐欺的なものでもないだろう。

むしろあれこれ付いていて(オフィスソフトだのグラボだの)格安だと粗悪品のゴチャマゼみたいなひどいものをつかまれそうだけど、これだけシンプルなら悪いこともしにくいだろうと考えたのです。

調べたところSSDもそんなにひどいものではないみたいだし、CPUの温度も全然上がらないからグリスもまだ生きている感じ。これで5年も持てば最高なんだが。

恥ずかしい話ですが、SSDのPCを使うのが初めてで、あまりの起動の速さに驚いています。そして、あまりにも無音で少し怖いくらいです。

SSDは容量が増えてくると動きが鈍くなるらしいので、Cドライブは完全にシステム用にしてしまって、以前から持っていた外付けのHDDをデータ保管用として使うことにしました。これで故障時にも安心だし、次回の買い替えも気軽に行えるでしょう。

マウスもキーボードも前回新品で買った時についてきた10年前のデルの汎用品がまだ全然使えるし、モニター2台も全く問題なく動いているしで、本当に楽で安価な買い替えでした。そして古いPCはHDDを取り外しBIOS起動できる状態で3000円で売り払いました。これが昨年末の出来事です。

リアリティとご都合主義

見たい映画があって、それがアマゾンプライムに含まれていたのでサブスクを購入し、ついでにあれこれ見ています。

私は頭のメモリが人より少ないので(要するにノータリン)あまり複雑な映画、登場人物が多い映画は見ることができないので、もっぱら単純なアクションやアニメなどを手あたり次第に見まくっているのですが、先日オススメに出てきた BLUE GIANT というアニメがちょっと引っ掛かりました。

主人公は高校を卒業して東京にやってきたサックスプレイヤーで、いつか世界一のジャズメンになることが夢で、毎日ひとりモクモクと河原で練習をし、バイトをし、仲間と出会い、一歩一歩夢の実現に向かって前進していくという青春音楽ストーリです。

途中いくつかの困難にぶち当たりますが、それでも持ち前の素直さと圧倒的な練習量から生み出される「生きた音」で評価を上げていき、夢の舞台に立つのです。

けっしてつまらない映画でもないし、くだらない内容でもないのですが、しばしば言われる「ご都合主義」的な面が気になってしまい徐々に覚めてしまいました。事実を淡々と伝えるドキュメンタリーではなく「創作物」なのだから、都合よく話が進んで当然なんですが、それがやたら目に付く作品と、全然気にならない作品があるのはなぜなのだろうか、その両者にはどのような違いがあるのだろうか、そんなことを感じました。

もう一本見ようかなと思って、またお勧めに出てきたアクション映画をクリックしました。それは「96時間」という映画です。古い映画なのでネタバレします。元凄腕の特殊部隊かなんかに所属していた主人公のおっさんがいました。その娘が旅行先のパリで人身売買組織に連れ去られます。娘を取り戻すためにあらゆる武器道具コネ技術を駆使し、次々と組織の人間や邪魔する連中を撃ち殺して、最終的に富豪のおっさんの性奴隷にされる直前で救出するというド派手なアクションものです。

自分の娘一人を助けるために(まぁ、娘はかわいいものなのでしょう)おそらく30人くらいを撃ち殺し、しまいには元同僚の奥さん(とても感じがいいご婦人)まで撃ってけがをさせるという徹底ぶりです。

これこそありえない話で、何もかも都合よくコトが運び、主人公へ向かって飛んでくる弾丸はすべて逸れ、手錠をかけられてもそれを引っかけたパイプが都合よく外れ、パリ市内を高速で逆走しても一台とも正面衝突をせずに一目散に娘のもとに向かいます。

でもだ、これを見ているとき、私は「ご都合主義」を一切感じずに、最後までフツーに見続けることができたのです。もちろん、「いやいやありえないだろw」とツッコミは要所要所でいれましたが、それすらも楽しんでいました。

おそらく、脚本とか映像とか専門的なことを学んだり、仕事としてやった経験がある人は、その違いが何から生まれているのか分析できるのでしょう。が、私にはさっぱりわかりません。

すべてが都合よく進んでも全く違和感が無いばかりか爽快感すら感じる一方、リアリティを混ぜ現実に寄せながら慎重にストーリーを前進させた結果、都合よすぎじゃないか?と違和感を感じさせる。

映像表現とは本当に奥が深い世界なんだなと感じました。やっぱり著名な脚本家さんや監督さんというのは、この違和感、「見ていられなくなるほどの恥ずかしさ」を見る側に一切感じさせないという点だけでも優れているんだな、と。

運と実力について

言うまでもありませんが、この世界には運というものが存在しています。いや、人によってはそれは運ではなく、運命とか必然なのかもしれないけど、言い換えるならばコントロールできない力があらゆる場面で働いています。思い通りに事が運ばなかったり、予想以上の結果に終わったり、その振れ幅はとても大きいものです。

最近の私はツイていませんでした。会う人会う人から小さな悪意を受け取り、そんなことが続くとさすがに心がすさんで、その悪意をほかのだれかにそのままプレゼントしてやろうとさえ思えるほど、いやな思いをしました。

でもこれは運ではないのかもしれません。要するに私に原因があるということです。

「他人は自分を映す鏡」と言いますが、私は決してそんなことはないと思います。こちらがいくら丁寧に嘘偽りなく接しても、いやな奴は相手をみてコイツならいけるとなると、すぐにいじめを始めます。

そのマウントをとる根拠が、立場なのか容姿なのか、学歴なのか身長なのかよくわかりませんが、あからさまに不遜な態度をとり相手に不利益になったりイライラさせるような言動を意図的にする連中というのが、私の体感だと7割くらい存在しています。残念ながら中高年男性に多いのは事実でしょう。

この体感は、私の精神状態、要するに受け止め方に大きく左右されるということもわかってはいますが(これが本来の鏡の意)、やはり西島秀俊さんと私とでは、相手から見下され理不尽にいやな思いをさせられるという機会は大きな開きがあるでしょう。わかりやすいように極端な例を挙げさせていただきましたが。

ちょっと運の話から逸脱してしまいましたが、やはり会う人会う人からとことんいやな思いをさせられると、それが私が俗にいう「ナメラレル」タイプだからなのかなと勘ぐってしまい、行き場のない怒りに震えることもしばしばです。

当然、かの西島さんでも普段の生活の中で理不尽な目にあいツイてないなと思うことはあるでしょう。そして、もしかしたら事実としてそれは私よりも多いかもしれないし、受け止め方のレベル(私が許せることでも、彼には許せない、要するにスタンダード)が違うのでストレスレベルはそんなに変わらないかもしれません。

いずれにしても、人は自分ではコントロールできないものに左右されて生きていて、それはきわめて個人的体験で共有できないものなので、安易な慰めや叱咤激励はまさに火に油を注ぐ結果となることもしばしばでございます。

と、そんなことを考えつつ、いつも以上に街をうがった目で眺めながらパン屋でクリームパンを買ったのですが、そのパン屋の店員さんの非常に丁寧で明るい態度に汚れた私の心はスッカリ洗われ、彼女を映す鏡となったのでした。ということで、やっぱり自分に問題があるという結論です。運でも実力でもなく、心がけの問題だということでした。

最近の鳥

台湾でもう嫌になるくらい鳥見に集中したので鳥熱は下がり気味でしたが、歳が明けたあたりから近所を散歩がてらカメラ片手に散策をするようになりました。自宅の周辺には遊歩道があって丘や林もありなかなかの観察スポットと言えます。

今シーズンは冬の初めにツグミを見逃してしまい、冬鳥を見ずにここまで過ごしてきましたが、先日やっとツグミの群れをナナカマドの街路樹で発見しました。しばらく立ち止まって見ていると、聞きなれない声がしたのでよくよく観察してみると、なんとアトリも混ざっていて驚きました。2年ぶりに見ました。

そして同じ日なんですが、カラスに追われているハイタカも見ることができて(上の画像)あぁ運を使い果たしてしまったなと。その運を今後通過するであろうレンジャクまで持っていたかったなと、思ったのでした。

私事ですが飛行機がめちゃくちゃ安く取れたので、5月に根室方面へ鳥を見に行くことにしました。シギチの勉強をキッチリしてきたいと思います。

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